ロバの独り言

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営繕の直属ひのきしん隊に参加しています

 

ヘルメットかぶって こどもおぢばがえりの会場設営をやってます。

チャレンジ遊びの世界 にて   〜7/23

Facebook に 笙吹きロバ で登録しました。

また遊びに来てください。

皆様元気そうでした

 

赤ちゃん抱っこさせてもらいました。

何か不思議な感じです。

孫ができたらこんな感じかな と思いました。嬉しいわ!

大きな赤ちゃんで、産むのが大変だったそうで

もう出産はこりごり? と聞いたら

大丈夫ですと言っていました。

その調子だ! 母は強し。

 

私より髪の毛がふさふさで、 パパ似だそうです。

佐藤組長がLINEで配信してました。

ロバ嫁にも、もう一人産んでほしいわ。

 

回廊で出田さんにも会いました。

神戸で布教頑張っているそうです。

2013.6.26

 

ちゃん誕生 

 

産まれました。

越乃国の杉田さんより連絡を頂きました。

5月10日。 女の子。

母子共に元気そうで何よりです。

やったね!!

とにかく おめでとう!!

みゆちゃん です。

産まれながらにして修養科を出ています。

 

 

萌出(はえで)のつとめ

に参拝しました。

をびやといい、はえでといい非常に神秘的でした。

をびや 、はえで (mp3音源)

「あしきを払うて どうぞ をびやすっきり早くたすけたまへ天理王命 南無天理王命 南無天理王命」(7回繰り返す)


「あしきを払うて どうぞ 萌出をしっかり たのむ 天理王命 南無天理王命 南無天理王命」(7回繰り返す)

これで私もばっちりだ!

春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど〜♪

しかしこの陽気で

先日、当地ウグイスの鳴き声を初めて聞きました。

 

修養科終わってから

春の霊祭や2月亡くなられた信者さんの50日祭、

長女の大学入学や部内教会の月次祭等でなんだか

慌ただしく時間が過ぎ去りました。

色々思い返すと私も色々勉強になったとつくづく思います。

17歳で行って二回目は教える立場でしたけれど、修養科生以上に修養できたと思います。

色々と修養科生さんに教えられることも多かったですね。

そして今思うと よく3カ月間、私の身体がもったなと思います。

風邪もひかず(バカですので)、腎臓のほうも機嫌よく、寝込むこともなく・・・・

まあ花粉症は大変でしたけれど。

新しい年度が始まって、皆さん GENKI ?

 

 

約7Kgは痩せました。

これはとても喜ばしい事でありますが、

帰って来て、奥様の手料理でまた元に戻りそう。

向こうでは自転車で行き来して、よく動いていたのですが家では車ばっかり。

これではいかんと、食べ物は少な気味に。

嫁さんが色々写真を見て、「よかったね、かわいい子が多くて・・・」といいます。

例の桜のふさふさ頭の写真を見て爆笑してました。

 

 

103組の皆さん 元気ですか ?

三ヶ月ご苦労様でした。

皆さんのメッセージありがとうございます。

そして折鶴、本当にありがとう。

思い返すと涙が出てきます。

最高のおみやげでした。

29日 自分とこの霊祭のあとの話で、その話をすると

そこの奥さんが涙を流して喜んでおられました。

明日病院に届けます。(2013.3.29)

時間を仕切ってのお願いを ということで とりあえず3日間通いました。

毎日、朝夕その方におさづけを取り次ぎに行かれる近くの教会の奥さんがおられまして、

その晩、お取次ぎの最中、何か赤い影みたいなのが出てきて・・・という事が起きて、

終わってから、修養科生さんが鶴を折ってくれたという話になったそうです。

その奥さんも涙を流して喜んでくれたそうです。教祖が来て下さったと・・・。

次の日、患者である会長さんが、私に 昨晩、こんなことが有りましたと涙ながらに話をして下さいました。

本当に皆様の真実のおかげであります。

わずかながらも回復に向かっているように思います。(2013.4.1)

 

我がクラスは一人の辞退者もなく、全員修了できました。

もう何度、どうなる事やらと思ったことがありましたけれど

教祖にお連れ通り頂きました。

皆さんの真実のおかげで全員無事に修了できました。

本当にありがとうございました。

 

綺麗ですね・・、 桜が・・?

いやいや お二人が。

我がクラスの 綺麗どころ です。

 

1月がとても寒かったので 絶対に見ることができないと思っていましたけれど

見事に咲いてくれました。 

861期生 皆さん頑張ったから神様からの綺麗なプレゼントを頂いたような気がします。

例年より1週間早いそうです。

間違いが2個所あります。

 

越乃国の御老体も頑張って下さいました。

 

4月13日 夜  「はえでのつとめ」  があるそうです。

これは参拝したいですね。 ふさふさになるように・・・・!?

14日友人の結婚式が教祖殿であるのでちょうどいい、

前の晩から行こう!!

 

 

十全の守護

現在、「十全の守護」 と 「八つのほこり」 の拝読を提唱されています。

しかし 「十全の守護」 は難しいというか、奥が深いというか・・・・

 

  十柱の神 多神教?

天理王命、道具衆(道具神)、

いざなみのみこと 女雛形 苗代の理  で、男には関係ないから 「九全の守護」?

 

このあたりよくよく勉強しておかないと。

教祖は いざなみのみこと の御魂の持ち主と言われますが、これをうまく

説明できる方はおられますか?

むつかしいわ・・・

 

 

天理教用語

 

天理教信者の間で普通に使われる言葉が、世間の人が聞くと

まったくわからない言葉である事が多いようです。

例えば、ひのきしん、ようぼく、たんのう、出直し、お道、・・・・・    

たくさんあると思います。

身上(みじょう) なんてのも普通に使われていますが一般の人からすれば、これも分かりません。

角目(かどめ)  という言葉も一般の辞書にはのっていません。必要にして重要な事がら。要点という意味です。

 

 

まあどこの宗教も独自の言葉があり、それはそれでなんら問題はないでしょうが、

一般の人に話をする場合は注意が必要です。

 

 

 

これは誰の言葉?

信者の間で 教祖のお言葉 として出回っている言葉が

調べてみると原典、教祖伝、逸話篇にもでてこない言葉があります。

 

声は肥

身上事情は道の花

女は道の台

里の仙人、山の仙人

親への孝行は月日への孝行・・・・

成って来るのが天の理

不足は切る理、たんのうはつなぐ理

 

これらの言葉は、実際に教祖が語られたものが、後世に伝えられてきたものか、

または、お道の上で大変な苦労をされた先人が残された言葉が、

後々に伝わったものでしょうから、決して使ってはならない言葉ではないようです。

しかし、たまに講演等で、上記の言葉を 「教祖はこうおっしゃった・・・」 と平気でしゃべられる方もおられます。

そういうロバもつい最近までは、原典に出てくる言葉 だと思っていました。

検索ソフトで色々調べてみたのです。

 

 

おかきさげ

 

このサイトに来られる方は 「おかきさげ」ってご存知ですね。

明治40年までの御本席様御在世中は、その人に応じて下さっていたのですが、

現在は全て同じものを頂きます。

かなり以前、パソコン通信の時代。あるサークルのなかで、現在の「おかきさげ」は

後世の人が編集したもの・・・・という話が話題になりました。

私もそれが気になっていて、

「おかきさげ」ってものは、あっちの「おさしづ」 こっちの「お言葉」のいいところを

つなぎ合わせて、本部員の先生が作られたものと解釈していました。

ところが、検索ソフトを作り、色々と調べていましたら、色々分かりました。

『天理教事典』を見てみるとこう書かれてあります。

 

【お書き下げ】 《 おかきさげ 》

・・・

「おさづけ」を頂いたのち「仮席」(かりせき)において渡される書き物を指して用いるのが普通である。

この仮席では、30歳未満の者にはもう一枚短いお言葉を書いた書き下げを渡されるので、

両方ともお書き下げであるが、長い方を指す場合が多い。

なおこの意味のお書き下げは、一般に「おかきさげ」と表記される。

このおかきさげの作成された明治23年7月以前でも、おさづけを授けられるとき、

いちいちその人をみて言葉があった。これを書き取って渡されていた。

この言葉は、おさづけを頂く人によって異なるものであったが、この明治23年頃の言葉(おさしづ)をみると、

ほとんど現在のお書き下げと同じ言葉である。すなわち、人によって異なるのではなく、

誰にでも同じ言葉を与えられている。これを書き取って、仮席において渡す「おかきさげ」とされたのである。

このほかに、従前通りその人をみて言葉が与えられる場合は、

これも書き取って渡すように言われている(「おさしづ」によって)。

現在では、おかきさげだけ渡される。


・・・

とあります。

ちなみに明治23年ころの おさしづを見てみるとこうです。

【明治二十二年十二月十日】
西川嘉平治三十二才(斯道会三十八号周旋方近江国甲賀郡柏木村字植第五番地)

さあ/\だん/\席、返やし/\″の席をして、さあ一日の日というは生涯、心一つの理を以ちて一つ席という。席に順序一つの理は、よく聞き分け。生涯の理を諭しよ。生涯の理を諭するには、よく聞き分け。難し事は、一つも言わん。どうせこうせこれは言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかという。それ人間という、身の内というは、神のかしもの・かりもの、心一つ我が理。心の理というは日々常という。日々常にどういう事情いかなる理。幾重事情どんな理でも、日々に皆んな受け取る。日々に皆んな受け取る中に、たゞ一つ自由という理を聞き分け。自由という理は、何処にあるやと思うかな。たゞめん/\精神一つの理にある。日日常日々常に誠一つ。誠の心というは、一寸には皆弱いように思うなれど、誠より堅き長きものは無い。誠一つは天の理。天の理なら、直ぐと受け取る直ぐと返やす一つの理。よく聞き分け。又一つ一名一人の心に誠一つの理があれば、内々十分睦まじいという一つ理が治まる。それ世界成程という、成程の者成程の人というは、常に誠一つの理で自由。よく聞き分け。又一つ、これまで運ぶ尽す中に互いや扶け合いという、互い扶け合いは諭する理。人を救ける心というは、真の誠一つの理で、救ける理で救かるという。これまでの理は、内々めん/\の事情理に治め。これより末永く事情理に、たすけ一条のため、こうのうの理を渡そ。あしきはらいたすけたまへ天理王命、と、これを三遍唱えて又三遍々々々三々々の理を授けよ。さあさあ受け取れ、さあ受け取れ/\。



【明治二十三年一月二十日】
今村斧太郎二十四才(大阪内本町橋詰町天恵四番)

さあ/\だん/\席返し/\″の席をして、さあ一日一夜一つの理を以ちて一つ席とす。席に順序一つの理は、よく聞き分け。生涯の理を諭しよ。生涯の理を諭するには、よく聞き分け。難し事は一つも言わん。どうせこうせこれは言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかという。それ人間という身の内というは、神のかしもの・かりもの、心一つ我が理。心の理というは、日々常という、日々常にどういう事情いかなる理、幾重事情どんな理でも日々に皆んな受け取る。日々に皆んな受け取る中に、たゞ一つ自由という理を聞き分け。自由という理は、何処にあるとは思うなよ。たゞめん/\精神一つの理にある。日々常、日々常に誠一つ、誠の心というは、一寸には皆弱いように思うなれど、誠より堅き長きものは無い。誠一つは天の理。天の理なら、直ぐと受け取る直ぐと返やす一つの理。よく聞き分け。又一つ一名一人の心に誠一つの理があれば、内々十分睦まじいという理が治まる。それ世界成程という成程の者成程の人というは、常に誠一つの理で自由。よく聞き分け。又一つこれまで運ぶという尽すという中に、一つ互いや扶け合いという、互い扶け合い、これは諭する理。人を救ける心というは真の誠一つの理で、救ける理が救かる。これまでの理は内々めん/\の事情理に治め。これより先永く事情には、第一一つの理の諭し、日々に家業という理が一つ第一、内々孝心という理が一つ第一、二つ一つは天の理と諭し置こ。いつ/\までも変わらん一つの理に、たすけ一条のためこうのうの理を渡し置こ。さあ/\さづけ/\、あしきはらいたすけたまへ天理王命、と、これ三遍唱えて又三遍々々々三々々の理を授けよう。さあ/\受け取れ、さあ受け取れ/\。



【明治二十三年一月二十二日(陰暦閏十二月二日)】
大西由五郎五十六才(大和国吉野郡平沼田村心勇講周旋方)

さあ/\だん/\席返やし/\″席をして、さあ一日一夜生涯心一つの理を以ちて一つ席とす。席に順序一つの理は、生涯の理を諭しよ。生涯の理諭するにはよく聞き分け。難し事は一つも言わん。どうせこうせこれは言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかという。それ人間という、身の内というは、神のかしもの・かりもの、心一つ我が理。心の理というは、日々常という日々常にどういう事情いかなる理、幾重事情どんな理でも日々に皆んな受け取る。日々に皆んな受け取る中に、たゞ一つ自由という理を聞き分け。自由という理は、何処にあるとは思うなよ。たゞめん/\精神一つの理にある。日々常日々常に誠一つ、誠の心というは一寸には弱いよう皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い。誠一つは天の理。天の理なら直ぐと受け取る直ぐと返やす一つの理。よく聞き分け。又一つ一名一人の心に誠一つの理があれば、内々十分睦まじいという理が治まる。それ世界成程という成程の者成程の人というは、常に誠一つの理で自由。よく聞き分け。又一つ、これまで運ぶという尽すという中に、互いや扶け合いという。互い扶け合い、これは諭する理。人を救ける心というは一人の誠一つの理で、救ける理が救かるという。これまでの理は、よく聞き分け。内々事情めん/\の事情理に治め。これより先は永くという事情には、第一一つの理の諭し、日々に家業という理が一つ第一、内々さあ互い孝心という理が一つ第一、二つ一つは天の理と諭し置こ。いつ/\までも変わらん一つの理に、たすけ一条のためこうのうの理を渡し置こ。さあ/\さづけさづけ、あしきはらいたすけたまへ天理王命、と、これを三遍唱えて又三遍々々々三三々の理を授けよう。さあ/\受け取れ、さあ受け取れ/\。



【明治二十三年一月三十日】
植谷元治郎二十二才(山城国愛宕郡大原村周旋方)

さあ/\だん/\席返やし/\″の席をして、さあ一日一夜生涯。心一つの理を以ちて一つ席とす。席に順序一つの理は、よく聞き分け。生涯の理を諭そ。生涯の理を諭するには、よく聞き分け。難し事は一つも言わん。どうせこうせこれは言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかと言う。それ人間という、身の内というは神のかしもの・かりもの、心一つ我が理。心の理というは、日々常という、日々常にどういう事情いかなる理、幾重事情どんな理でも、日々に皆んな受け取る。日々に皆んな受け取る中に、たゞ一つ自由という理聞き分け。自由という理は、何処にあるとは思うなよ。たゞめん/\精神一つの理にある。日々常、日々常に誠一つ。誠の心というは、一寸には弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い。誠一つは天の理。天の理なら、直ぐと受け取る直ぐと返やす一つの理、よく聞き分け。又一つ、一名一人の心に誠一つの理があれば、内々十分睦まじいという理が治まる。それ世界成程という、成程の者成程の人というは、常に誠一つの理で自由。よく聞き分け。又一つ、これまで運ぶという尽すという中に、一つ互いや扶け合いという、互い扶け合い、これは諭する理。人を救ける心いうは真の誠一つの理で、救ける理が救かるという。よく聞き分け。又一つ、これまで運ぶ尽す理は、内内の事情理めん/\の事情理に治め。これより先永く事情又先永く事情には、又一つ第一一つの理の諭し、日々には家業という理が一つ第一、内々互いいつ/\までも孝心という理が一つ第一、二つ一つは天の理と諭し置こ。いつ/\までも変わらん一つの理に、たすけ一条のためこうのうの理を渡し置こ。さあ/\さづけ/\、あしきはらいたすけたまへ天理王命、と、これを三遍又三遍々々々三々々の理を授きよう。さあ/\しいかり受け取れ/\。



【明治二十三年二月二十二日(陰暦正月四日)】
藤井幾太郎四十九才(備中小田郡笠岡真明組)

さあ/\だん/\の席返やし/\の席をして、さあ一日の日というは生涯心。一つの理を以て一つの席とす。席に順序一つの理は、よく聞き分け。席に順序一つの理は生涯の理を諭する。生涯の理を諭するには、よく聞き分け。難しい事は一つも言わん。どうせこうせこれは言わん、こら言えん言わんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかという。それ人間という身の内というは、皆神のかしもの・かりもの心一つが我がの理という。心の理というは、日々という常という、日々常にどういう事情どういう理、幾重事情どんな理でも、日々に皆受け取る。受け取る中に、ただ一つ自由という一つの理。自由という理は、何処にあるとは思うなよ。たゞ銘々の精神一つの理にある。日々という常という、日々に常に誠一つ、誠の心といえば、一寸には弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い。誠一つが天の理。天の理なれば、直ぐと受け取る直ぐと返やすが一つの理。よく聞き取れ。又一つ一名一人の心に誠一つがあれば、内々十分睦ましいという一つの理が治まる。それ世界成程という、成程の者成程の人というは、常に誠一つの理で自由という。よく聞き取れ。又一つ、これまで運ぶ尽すという、運ぶ尽す中に、互い扶け合いという、これは諭する理。人を救ける心は、真の誠一つの理で、救ける理が救ける。よく聞き取れ。又一つ、これまで運ぶ尽す一つの理は、内々の事情の理銘々の事情の理に治め。これより先永く変わらん事情に。

さあ/\だん/\の席/\返やし/\″の席順一つ、一つの理一つの心、さあ/\一日一席事情いつ/\事情、変わらん一つの心。これより先永く事情に、たすけ一条のためこうのうの理を授けよう。あしきはらいたすけたまへ天理王命、と、三遍又三遍々々々三々々の理を授けよう。さあ/\しいかり受け取れ/\。



【明治二十三年四月二十七日】
藪田林兵衛五十五才

さあ/\だん/\の席返やし/\の席をして、さあ一日の日というは生涯、心一つの理を以て一つ席とす。席に順序一つの理は、よう聞き分け。生涯の理は諭しよ。生涯の理を諭するには、よう聞き分け。難しい事は一つも言わん。どうせいこうせい、これは言わぬ言えぬ。言わぬ言えぬの理を、聞き分けるなら、何かの理も鮮やかという。それ人間という、身の内というは、神のかしもの・かりもの、心一つ我が理。心の理というは、日々常という、日々常、どういう事情どういう理幾重事情どんな理でも、日々に皆んな受け取る。受け取る中に、たゞ一つ自由という、この理は何処にあるとは思うなよ。たゞめん/\の精神一つの理にある。日々常に誠一つという。誠の心と言えば、一寸には皆弱いように思うなれど、誠より堅き長きものは無い。誠一つは天の理。天の理なら、それ直ぐに受け取ろ、直ぐに返やす一つの理。よう聞き分け。又一つ、一名一人の心に誠一つの理があれば、内々というは、十分睦まじいという一つの理が治まる。それ世界という、成程の者成程の人というは、常に誠一つの理で自由という。よう聞き分け。又一つ、これまで運ぶ尽す中、互いや扶け合いというは諭する理。人を救ける心は、真の誠一つの理で、救かる救けるという。又一つこれまで運ぶ尽す一つの理は、内々の事情めん/\の理に治め。これよりは又、先永くという、先永く事情には、たすけ一条のためこうのうの理を渡そう。さあ授けよう/\/\。あしきはらいたすけたまへ天理王命、と、これを三度又三度々々々三々々理を授けよう。さあ受け取れ、さあ受け取れ/\。



【明治二十三年五月六日】
虫明元三郎五十五才(備中国浅口郡地頭下村真明組周旋方)

だん/\席返やし/\″の席をして、さあ一日一夜生涯、心一つの理を以ちて一つ席とす。席に順序一つの理は、よく聞き分け。席に順序一つの理は、生涯の理を諭そ。生涯の理を諭するには、よく聞き分け。難し事は一つも言わん。どうせこうせこれは言わん言えん理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかという。それ人間という、身の内というは、神のかしもの・かりもの、心一つ我が理。心の理というは、日々常という、日々常にどういう事情どういう理、幾重事情どんな理、どんな理でも日日に皆んな受け取る。日々に皆んな受け取る中に、たゞ一つ自由という理を聞き分け。自由という理は、何処にあるとは思うなよ。たゞめん/\精神一つの理いにある。日々常に誠一つ。誠の心というは、一寸には皆弱いように思うなれど、誠より堅き長きものは無い。誠一つは天の理。天の理なれば、直ぐと受け取る直ぐと返やす一つの理。よく聞き分け。又一つ、一名一人の心に誠一つの理があれば、内々十分睦まじいという理が治まる。それ世界成程という、成程の者成程の人というは、常に誠一つの理で自由。よく聞き分け。又一つ、これまで運ぶという尽すという、運ぶ尽す中に互いや扶け合いという、これは諭する理。人を救ける心というは、真の誠一つの理で、救ける理が救かるという。これまでの理は内々の事情理めん/\の事情理に治め。これより先永く事情に、先永く事情に、たすけ一条のためこうのうの理を渡し置こ。さあ/\さづけ/\、あしきはらいたすけたまへ天理王命、と、これ三遍唱えて又三遍々々々三々々の理を授けよう。さあ/\受け取れ、さあ受け取れ/\。



【明治二十三年六月二十五日】
椋野岩治郎十九才(吉野郡北山村大字浦向)

さあ/\だん/\の席返やし/\″の席をして、さあ一日の日というは生涯、心一つの理を以て一つ席とす。席に順序一つの理は、よく聞き分け。席に順序一つの理は、生涯の理を諭しよ。生涯の理を諭するには、よく聞き分け。難しい事は一つも言わん。どうせこうせこれは言わん、こら言えん。言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかとす。それ人間という身の内というは、神のかしもの・かりもの、心一つが我がの理。心の理というは、日々という常という、日々常にどういう事情どういう理、幾重事情どんな理でも日々に皆受け取る。受け取る中に、たゞ一つ自由という一つの理。自由という理は何処にあるとは思うなよ。たゞめん/\精神一つの理にある。日々という常という、日々常に誠一つ。誠の心と言えば、一寸には弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い。誠一つは天の理。天の理なれば、直ぐに受け取る直ぐと返やすが一つの理。よく聞き分け。又一つ、一名一人の心に誠一つの理があれば、内々十分睦まじいという一つの理が治まる。それ世界成程という、成程の者成程の人というは、常に誠一つの理で自由という。又一つ、これまで運ぶ尽す中に、互い扶け合いというは、これは諭する理。人を救ける心は、真の誠一つの理で自由という。よく聞き分け。誠の理が救ける理で救かる。よく聞き分け。又一つ、これまで運ぶ尽す一つの理は、内々の事情の理めん/\事情理に治め。これより先永く事情には、又一つ、第一の理を諭しよ。第一の理には所々にて諭する台、これが第一。又一つには、日々に家業という、家業大切。又一つには内々互い/\孝心の道。これ二つ一つは天の理と諭し置こ。さあ、これより先永く変わらん事情に、たすけ一条のためこうのうの理を渡し置こ。さあ授け置こ/\。あしきはらへたすけたまへ天理王命、と、これを三度又三度々々々三々々、さあ理を授けよう、さあ授けよう。さあ受け取れ/\。



現在のおかきさげは


さあ/\だん/\の席返す/\″の席をして、さあ一日の日というは生涯の心一つの理を以て一つ席と す。席に順序一つの理は、よく聞き分け。席に順序一つの理は、生涯の理を諭す。生涯の理を諭すには、よく聞き分け。難しい事は一つも言わん。どうせこうせこれは言わん、これは言えん。言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかという。それ人間という身の内というは、神のかしもの・かりもの、心一つが我がの理。心の理というは、日々という常という、日々常にどういう事情どういう理、幾重事情どんな理、どんな理でも日々に皆受け取る。受け取る中に、たゞ一つ自由という一つの理。自由という理は何処にある とは思うなよ。たゞめん/\精神一つの理にある。日々という常という、日々常に誠一つという。誠の心と言えば、一寸には弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い。誠一つが天の理。天の理なれば、直ぐと受け取る直ぐと返すが一つの理。よく聞き分け。又一つ、一名一人の心に誠一つの理があれば、内々十分睦まじいという一つの理が治まるという。それ世界成程という、成程の者成程の人というは、常に誠一つの理で自由という。よく聞き取れ。又一つ、これまで運ぶという、尽すという。運ぶ尽す中に、互い扶け合いという。互い扶け合いというは、これは諭す理。人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かるという。よく聞き取れ。又一つ、これまで運ぶ尽す一つの理は、内々事情の理、めん/\事情の理に治め。又一つ、第一の理を諭そう。第一には、所々に手本雛形。諭す事情の理の台には、日々という、日々には家業という、これが第一。又一つ、内々互い/\孝心の道、これが第一。二つ一つが天の理と諭し置こう。さあ、これより先永く変わらん事情に。

さあ/\だん/\の席だん/\の席、返す/\″の席をして、さあ一日 の日は生涯の心一つの理を以て席とす。さあこれまでだん/\返す/\″の席の順序、一つの理一つの心いつ/\事情。又、 一日一席事情、生涯の事情生涯の心いつ/\事情。さあ、これより先永く事情先永い事情に、たすけ一条のためこうのうの理を渡し置こう。さあ/\授けよう/\。あしきはらひたすけたまへ天理王命、と、 これを三度又三度又三度三三三、さあ理を授けよう。さあ/\受け取れ/\。

おふでさき

 

「おふでさき」は和歌体で書かれていて、全部で1711首の歌があります。

1711首のお歌の中に全く同じお歌があるのはよく知られています。

有名なのは

たん/\となに事にてもこのよふわ  神のからだやしやんしてみよ      三号 40、135

ですが、他にもあります。

 

全く同じお歌

それしらすうちなるものハなにもかも  せかいなみなるよふにをもふて   七号 69、十五号 82

たん/\となに事にてもこのよふわ  神のからだやしやんしてみよ      三号 40、三号135

 

読み方が全く同じお歌

どのよふな事でもさきしらしをく  あとこふくハいなきよふにせよ    十一号 46

どのよふな事でもさきしらしをく  あとこふくハいなきよふにせよ    十二号 39

 

このよふをはじめてからにけふまで ほんしんぢつをゆうた事なし     十一号 75

このよふをはじめてからにけふまで ほんしんぢつをゆうた事なし     十五号 48

 

こんな事なんでゆうやとをもうなよ  かいあまりてゆう事やでな        十六号 41

こんな事なんでゆうやとをもうなよ  かいあまりてゆう事やでな        十七号 48

 

読みが少し違うお歌 

この事をはやくしいかりと さめをつけてはやくかゝれよ          十四号 89

この事をはやくしいかりと さめをつけてはやくかゝれよ        十五号 63

 

 少し(?)ちがうお歌

 このよふのはぢまりだしハとろのうみ  そのなかよりもどよばかりや        四号122

このよふの元はじまりハとろのうみ  そのなかよりもどよばかりや          六号 33

 

月日より一どふゆうてをいたなら  いつになりてもちがう事なし           十一号 11

月日より一どふゆうてをいた  いつになりてもちがう事なし             十三号 65

 

けふまてハなにをゆうてもにんけんの  心のよふにをもていたれど      十五号  3

いまゝでハなにをゆうてもにんけんの  心のよふにをもていたれど       九号  1

  

月日よりこのざんねんとゆうのわな  なか/\一寸の事でないぞや          十七号 40

いまゝでの月日ざねんとゆうものわ  なか/\一寸の事でないぞや         十七号 21

 

このたすけいかなる事とをもうかな  ほふそせんよのつとめをしへる          七号 98

このたすけどふゆう事にをもうかな  ほふそせんよのまむりこしらゑ           八号 31

 

けふまでもどのよなみちもたん/\と  とふりぬけてわきたるなれども    十四号 57

いまゝでハどのよなみちもたん/\と  とふりぬけてわきたるなれども     十七号 43

 

とのよふな事ありてもあんなよ  なにかよろわをやのいけんや       十四号 74

とのよふな事したとてあんなよ  なにかよろわをやのうけやい        十五号 62

 

このもとわ四十三ねんいせんから  ゑらいためしがかけてあるぞや         十五号 41

このはなし四十三ねんいせんから  ゑらいためしがこれが一ちよ            十五号 50

 

このたびハこのしんちつをせかへ どふぞしいかりをしゑたいから       十七号 35

このたびハこのしんちつをせかへ どふぞしいかりみなをしゑたい       十六号 11

 

このはなしたれがするとハをもうなよ 月日の心かりゆうの              十二号 83

このはなしたれがゆうとハをもうなよ 月日の心かりなるぞや               九号 32

 

それしらすみなせかいぢうハ一れつに なんあしきのよふにをもふて  十四号 36

それしらすみなたれにてもたん/\と なんあしきのよふにをもふて  十六号 66

なお 上記の御筆先は現在の文字に置き換えられたものです。

実際のおふでさきは変体仮名で書かれてあります。

そして

全く同じお歌とした

たん/\とな事にてもこのよふわ  神のからだやしやんしてみよ      三号 40、135

の御歌も、変体仮名の御筆先では  に の部分の文字が違います。

  

ちなみに

それしらすうちなるものハなにもかも  せかいなみなるよふにをもふて   七号 69、十五号 82

の御歌は全く同じです。(御真筆の御筆先はどうかわかりませんが)

 

そして

読みが同じの御歌でも 「わ、ハ」、「へ、ゑ」 の違いだけでなく、変体仮名の御筆先

では 「た」「な」の文字が違う箇所があります。 

変体仮名の御筆先で比べてみてください。

 

教祖の「おふでさき」執筆においては“背景”や“流れ”がありますので同じ歌、同じような歌であっても

解釈がちがってくる場合もあるかと思いますので注意が必要 です。

 

(・・・・・前後のおうたとの関連からすると、それ/\多少意味が違うのであります。
前の方は、だん/\と生起してくる何事にも、「この世は神の身体」であるという理を、
その証拠を見出すよう思案してみよ。であるならば、人間にとっては、神の身体であるこ
の世のことは、皆々神のかしものなのである。それを何と思って、神そこのけで勝手気侭
に使っていることやら、という意味であり、後の方は、何事にあたっても、「この世は神
の身体」ということから理の思案をしてみよ。めいめい身の内かりものということを承知
して、その上から思案してみよ。そうすれば、病といってないのであって、神の道をせ意
見なのだということが分かるはずだ、という意味であります。    『天理教教理大要』

この類似したお歌を調べるのに ロバ作の

おふでさき検索ソフト 「おふでさき索引」 

を使いました。

その中の「上下の句」という機能で調べました。

興味のある方は調べてみてください。

 

現在 改訂天理教事典の 電子辞書化を進めています。

天理教用語集の辞書がなんとなく頼りないからいっそうのこと天理教事典の

ファイルで何とかならないものかと思っています。

 

検索ソフトが Vista  で 動かない

 

おさしづ、教祖伝・逸話篇、教典、眞之亮伝の各検索ソフトが

ウインドウズビスタでは動かない(実際は動いていますが)

との事で、いろいろ考えています。

 

各種検索ソフトは Visual Basic Ver.5 で開発されています。

そのVer.5 というのは 1997年頃の マイクロソフトの製品です。

ところが それもバージョンアップを重ね、現在では 

Visual Basic 2008 というのに進化しています。

Visual Basic Ver.5 の次は Ver.6 で、

その後 インターネット機能を強化した Visual Basic .Net (ドットネット) シリーズがでまして

.Net  2005、 2008 と進んできました。

 

多くの検索ソフトは Visual Basic Ver.3 あたりから開発を始めたのですが

Ver4 、Ver5 にプログラム部分の移行が簡単で

大きな手直しをせずとも動きました。

最近、ロバのマシンにも visuta が搭載され

本格的に移植を始めようかと思い Visual Basic 2008 を入れ

移植をしたのですが 全然動きません。エラーだらけです。

そりゃそーですね 10年以上前の開発ソフトと最新の物とでは大きな差があるのは当然です。

各種検索ソフトはかろうじて ビスタ上でも動いていますが

これからのウインドウズではますます動かなくなってくるでしょう。

なるべく新しい開発ソフトに今のうちから 移植しておかないと

ますます動かなくなると思っています。

が、あまりにも プログラム仕様が変わってますので

ロバの頭がついていってません。

 

まっ そのうちに なんとかなるでしょう・・・・・

 

 

ソフト開発

 

おふでさき検索ソフト 「おふでさき索引」 の最初の開発は

1993年頃 当時 MS-DOS時代 

NECの 「PC−9801」 が全盛を誇っていた時代です。

 

その当時 MS-DOS上で動く Quick Basic という 開発ソフトが

ありました。 これが進化して Visual Basic へとなります。

 

ロバはそれ以前から趣味で Basic等をやってまして

N88 Basic でいろいろなソフトを作って遊んでいました。

 

あるとき知り合いの方から dBase というデーターベースソフトで

開発された おふでさき検索ソフトを頂きました。

それは 天理教海外布教伝道部 が開発した 「1711」 というソフトです。

 

   ロバは何を思ったか その「1711」 から おふでさき部分を

取り出し、Quick Basicで検索ソフトを作り出したのが始まりです。

以降 

MS-DOS から ウインドウズ になってから

Visual Basic Ver.3 に移行しました。

Ver.3 になってから 教祖伝や逸話篇、教典ソフトの開発となり、

Ver.5 になってから おさしづソフトの開発になりました。

 

もちろん本文はロバが一人でタイプしたのではありません。

巷に出回っているテキストデーターを利用しました。

 

ところが出回っているデーターはタイプミスだらけでした。

プログラム開発よりテキストの見直しの方に時間がかかりました。

しかしそのテキストがあればこそで、タイプされた方には感謝しております。

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